令和6年蓮如上人御忌法要
4月27日(木) より 5月1日(月)まで
各日ともに日中(午前10時)・逮夜(午後2時)の2座
本堂でのご法要45分前(日によって前後します)に蓮如上人のご真影を
ご安置する中宗堂にて、職員によるお勤めが修行されます。
本願寺吉崎別院(吉崎西別院)
蓮如上人御忌法要中の特別行事などについて
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中宗堂での法要
蓮如上人のご真影「おかたみの御影」をご安置する吉崎別院中宗堂での法要は、一時期休止されておりましたが、令和4年より本堂での法要45分前(日によって前後します)に別院職員により厳修されます。
御忌期間中の特別法要 -
4念力門法要 4月27日 日中(午前)
吉崎別院の参拝者を出迎える「念力門」は京都の本山からいただいたもので、昭和24年に百余名の門信徒が16台の荷車に積み分けて250㎞の道のりをここまで運んでくださったものです。このご功労を偲び、本堂での法要後、輪番により念力門下の顕彰碑の前で執り行われます。
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朝倉公法要 4月27日 逮夜(午後)
蓮如上人が吉崎御坊を建立されるにあたって、土地や材木・資金などを提供されたと伝承のある越前の戦国大名朝倉孝景公のご功績を偲ぶ法要です。本堂での法要後、引き続き本堂にて輪番により執り行われます。
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本光坊法要 4月28日 逮夜(午後)
吉崎御坊が開かれて3年目のこと、吉崎大火の際に命と引き換えに親鸞聖人のお聖教を救い出した本光坊了顕様のご功績を偲ぶ法要です。本堂での法要後、引き続き本堂にて本光坊様の末裔である福井市市波の本向寺様により執り行われます。
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御山法要 4月29日 日中(午前)
旧跡地「御山」は現在東西本願寺の共有地となっています。蓮如上人ご滞在の当時を偲び、午前11時より山上の蓮如上人銅像前(高村光雲作)で東西両吉崎別院の職員により法要が執り行われます。
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御忌法要の布教
吉崎近隣の加賀、あわら、坂井市を中心とした本願寺吉崎別院崇敬区域に所属する本願寺派布教使の方に、毎座入れ替わりで1座2席(60分ほど)のご法話をいただきます。ご講師は本堂でご案内いたしますほか、決定次第吉崎別院のホームページでもお知らせします。
「蓮如上人御忌法要」について
「御忌(ぎょき)」または「蓮如忌(れんにょき)」と呼ばれ、吉崎の春の恒例行事として毎年多くのご参拝の方々でにぎわう「蓮如上人御忌法要」は、この吉崎の地を拠点に浄土真宗を広められた蓮如上人のご遺徳をしのぶ、蓮如上人の御命日法要です。
明応8年3月25日(西暦1499年5月14日)、蓮如上人は八十五年の御生涯に幕を閉じ、西方極楽浄土へ御往生されていかれました。その御生涯はまるでお浄土を指し示す一筋の光のようでありました。
蓮如上人がこの吉崎の地に入られたのは、文明三年の初夏上旬のころでありました。まさにこの御忌法要の時期であります。当時は虎や狼が出てきそうであったといわれるこの寒村を、わずか数年で一大宗教都市にまで発展させられました。
戦乱と飢饉によって無数の人々が命を落とし続けていた時代の中にありながらも、数え切れないほどの方々が命がけでこの吉崎を目ざしてこられたのは、ひとえに蓮如上人御自身が命がけでこのわれらにお示しつづけた「後生の一大事」を問い聴かんがためであったからでしょう。
乱世の中、波乱に満ちたその御生涯にもかかわらず、まさに身命を賭した上人のご教化によって、全国にこの浄土真宗のみ教えが爆発的に広まっていきました。蓮如上人が「浄土真宗中興の祖」と讃えられるゆえんであります。
蓮如上人は、この吉崎の地で「正信念仏偈」と「御和讃」をわれらの日常の勤行として定められ、あわせてその勤行聖典を開版されました。また精力的に「御文章」をしたためられました。現存する「御文章」の大半は吉崎時代にお書きくださったものです。
どうか、この御忌法要のうちにおいて、蓮如上人のご苦労と御遺徳を偲び、なによりも上人が命を懸けてお伝えくださったこのお念仏のみ教えをお聞かせいただきましょう。そして、智慧の光で常にこの身を照らし続けてくださっている如来様の「摂取不捨」の御恩を思って、蓮如上人とともにお念仏をよろこばせていただきましょう。